美鶴は複雑な思いでエレベーターのボタンを押した。
もう数分で自宅だ。母は居るだろうか? 今日は平日だし、この時間ならいないかもしれない。
そう思うと少し気分が楽になる。
母との確執がなんとなくうやむやに解決してしまったような感じだが、それでも心のどこかに蟠りは残っている。そんな美鶴にとって、母の不在はありがたい。
だが、それでも今の美鶴の心はスッキリとは晴れない。
頭に残る、ツバサとの会話。
「で? 霞流さんの事、金本くん達には言ってあるの?」
帰り道の電車の中で突然問われ、美鶴はあまりの驚きに声も出なかった。
「え? あっ え?」
答える事も、逆に問う事もできずに喉に言葉を詰まらせる美鶴。そんな相手の態度に、ツバサは頭を掻きながら少し肩を竦める。
「単刀直入過ぎた?」
「あの」
「だってさ、好きなんでしょ?」
「あ?」
「その、霞流って人の事」
「あ……」
当然だ。智論や美鶴の態度を見ていれば、誰にだってわかるだろう。
もはや否定するのも見苦しいとは思いつつ、潔く肯定もできない美鶴の態度に、ツバサは慌てて付け加える。
「あ、大丈夫。学校でバラしたりとかって、そんな事はしないから」
「それは、どうも」
確かにバラされるのは困る。美鶴の恋心を知って嘲笑する同級生達を思い浮かべると、背筋が凍る。
顔を強張らせる美鶴へ、ツバサは上目使いの視線を投げる。
「なんかさ、大変な恋路みたいだね」
状況はよくわかんないけど、と、これまた付け足すツバサの言葉に、今度は美鶴が頭を掻く。
そうだ。私、霞流さんにフラれたんだっけ。フラれたと言うか、自分の恋心を手荒に扱われたと言うか。
下卑た笑みを浮かべる真夜中の霞流慎二。
傷ついた。ショックだった。
霞流慎二がそのような人間だとは思わなかった。今でも信じたくないという思いがある。
そんな美鶴に、これ以上傷つきたくないのなら首は突っ込むなと、智論は忠告した。だが美鶴は、聞きたいと思った。
「慎二はもともと女性不信なところがあったから、彼女である桐井先輩の言動ですっかり女性を毛嫌いするようになってしまった」
好きになった女性があのような発言をすれば、男の恋心が冷めるのも当然だろう。
だが智論の話では、織笠鈴が亡くなった後も、霞流慎二は桐井愛華を想っていたようだ。
「慎二は、本当に桐井先輩の事が好きだったのよ」
智論の言葉を思い出すと、胸が苦しくなる。
今は違うんだよね。
そんな言葉を胸の内で吐いてしまう自分が見苦しい。
霞流さんは、桐井愛華という女性が好きだった。とても大切にしていた。それがどうして、女嫌いに発展するんだろう?
女性に対して嫌悪を感じるようにはなるかもしれないないが、それにしても霞流の態度は尋常ではない。自分が直接攻撃を受けたりひどい仕打ちをされたりしたワケでもない。なのに今の霞流は、恋心など微塵も信じてはいない。
「僕が欲しいんだろう?」
「さあ、君が望むのは、どんな僕?」
美鶴は、霞流が欲しかったワケではない。霞流に演じてくれと言ったワケでもない。だが彼は、美鶴が霞流を欲しているのだと言った。美鶴の望む人間を演じてやると言った。
女など、誰も俺を見てはいない。ただ自分が望むような人間を見栄えのよい男に演じさせ、それを見て楽しんでいるだけだ。
霞流の言葉はそう言っていた。彼にとって、女性とはそのような存在なのだ。
何があったのだろう?
彼は、織笠鈴が亡くなった後、桐井愛華に自分の罪を判らせようとした。二人の間に、何かがあったのだろうか?
自分の恋心を嘲笑うかのような、馬鹿にするかのような、本物の恋などこの世に存在するはずがないと言いたげな態度を見せた霞流慎二。
「慎二はもともと女性不信なところがあったから」
桐井愛華との間に何かがあったというワケではなく、もともと霞流さんの中には、女性に対する不信感があったと言う事だろうか?
だが、智論のバイトの時間が迫っており、その件に関して突っ込んだ質問をする事はできなかった。
別れ際、智論は美鶴へこんな言葉を残した。
「慎二は、生半可な気持ちでは太刀打ちできない人間よ」
生半可な気持ち。
私の気持ちって、そんなもんだったのかな。
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